Never Mind

サムサッカー

久々にぐっときたと云うか、考えた映画だったな。


思春期の少年、家族、クラスメイト、好きな女、ドラッグ、成長、未来、ありがちなストーリーだけど、思春期の頃を取り巻く環境、悩みだとかって是等以外にはそう無いよな。
個人的には、タイムリーで、共感できる箇所が結構あった。


少年も勿論だけど、家族、歯科医、先生といい味だしてる映画だと思った。


いきなり、イラってして物に当ったりとか昔の自分(今も結構してるかも)を見てるみたいだった。


なんかこれを見てつくづく親も人間だなって思う。
当たり前なんだけど、お母さんも、お父さんも人生考えてるなって。
自分の事も考えつつそれ以上に子供のことも考えなきゃいけないなんて大変。
今後、親になる自身喪失。

『誰だって何かに依存して生きてる』って話もなんか妙に納得してしまった。

キアヌとの最後のシーンが印象的だった。


結局幾つになっても答えなんてなくて、どんな仙人になっても全ての事を知ってるわけじゃないんだろうな。
こういうのって時代が変わっても悩みとか不安根本的なものは人間が生活を始めてから変わってないだろうなとも、思った。
だからきっと哲学者ってジャンルが誕生したのかもね。

表面的な改善なんて結局悪化を引き伸ばしてるだけで、根本的な何かを改善してく努力をしなきゃな。


最後に気付いたけど、監督マイクミルズだったのね、なんだか納得というか繊細な映画作るのね。


■■私事■■
映画の中のADHD、前とあるサイトで自己診断チェックをしたのだが、結果は『早めに専門の医師に診てもらおう』的な判定結果。
確かに、どれもこれも当てはまっちゃう。
注意散漫、飽きっぽい、落ち着きが無い、整理整頓が苦手、気分が変わりやすい、途中で投げ出す、仕事で単純なミスを犯す、劣等感が強い。。。等々。


で、ちょっと色々他のサイトとかを見たりしたんだけど、診断基準映画でもお母さんが言っていたけど曖昧な感じが否めない。
大抵の人に当てはまるんじゃないか?とも思ったりもする。


例えば、それで精神科に行って診断をされて病名がついたら、他人と少し違ったり、劣ったりする自分の欠点だとかは、病気だから仕方が無いや、とか言って安心するもんだろうか。
投薬治療で気分が良くなって、それでいいのだろうか。
言っても薬だぜ。

とか、いろいろ考えているうちに病院には行ってませんわ。